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美濃加茂市長逆転有罪判決を読み解くために絶望の裁判所を読む【読書ノート】

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元エリート裁判官の告発本「絶望の裁判所」読書ノート

藤井浩人美濃加茂市長が逆転有罪判決を受けた話を受けて、
刑事裁判について、調べたことを発信しています。

今回は、元エリート裁判官で現在法科大学院の教授の、
瀬木比呂志さんが、裁判所の実態を告発した、
「絶望の裁判所」を読んだので読書ノートです。

 

 

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

 

 

 

著者瀬木比呂志さんの簡単な経歴

絶望の裁判所著者の瀬木比呂志さんは、東大法学部出身で、在学中に司法試験に受かったという、エリート中のエリートです。

 

在学中に司法試験に受かるのはエリートの証

たまに、弁護士や、政治家で東京大学中退を謳っている人たちがいますが、
その人達は卒業することなく司法試験に受かったためそれ以上在学する必要がなくなった、ということを示しています。

この前の東京都知事選に立候補しかけた、
宇都宮健児弁護士は、まさにその一例です。

 

宇都宮健児 - Wikipedia

出身校 東京大学法学部中退

 

瀬木さんは、卒業されているので、宇都宮さんとは異なりますが、国家試験の最難関である司法試験を在学中に合格するということは、それだけ優秀だということはわかります。

 

最高裁の裁判官まで上り詰めたが、元々学者志望

しかし、瀬木さんは元々学者志望で教授になりたかったということです。

司法試験に受かってしまったため、家族の雰囲気から法曹にならざるを得なくなった、と。しかし、裁判所に30年勤めて、結局現在は教授になり、さらには内部の告発本を出版されるなど、裁判所の「自浄作用」に大変な危機感がある、ということはわかると思います。

 

自由主義者個人主義者で裁判所の中ではアウトロー

瀬木さんは、裁判官でありながら、論文を書くなど、オープンな活動を行っていました。論文執筆などは、元々学者志望なら、やっていても自然なことのように思いますが、裁判所では問題視をされていたそうです。

裁判所は非常に守旧的な組織で、瀬木さんのように裁判官の精神衛生や精神構造を論じるなど、タブーです。また、「最高裁判所事務総局」の言うことに盲目的に従うことが、習い性になっている裁判官が多かったようです。

つまり、個人の良心ではなく、組織の論理で動く裁判官が多い、ということです。

これは、憲法に規定されている裁判官の姿と乖離している気がします。

 

最高裁判所事務総局」については、以下のペーパーが参考になります。

http://www.nishikawashin-ichi.net/oral-reports/oralreports-29.pdf

ざっくり言うと、裁判所行政を牛耳り、
判決内容についても支配・統制している組織です。

 

瀬木さんが裁判官を辞め、学者になった2つの理由

1つは、前述の通り、元々学者の道を死亡しており、
研究・教育・執筆と言った、他者に代替できない仕事をしたい、という前向きな理由です。

もう1つは、裁判所・裁判官のマジョリティにも、愛想が尽きた、という消極的な理由です。

 

ちなみに、裁判所をやめるときにも、裁判所の所長から、嫌がらせを受けています。

裁判所の所長ともあろう人が、裁判官の身分保障に関する憲法違反、有給取得に関する労働法違反を犯そうとしたということから、裁判所の論理が以下に法に基づいていないものかがよくわかります。

 

裁判官たちの実態について

良識派は上層部には行けないという官僚機構の闇

最高裁判所の裁判官については、一応国民が監視を行う仕組みがある。

衆議院選挙と同時に行われる国民審査です。

一応、というのは、これによって罷免された裁判官がいないことから形骸化しているためです。

 

つまりこれの意味する所は?

国民の権利を蹂躙するような判決をいくら下したところで、
なんのダメージもない、ということです。

これは、官僚機構一般にいえることです。官僚を国民が審査するような仕組みもなければ、政治家で官僚のことを掌握している人も、ほとんどいません。

 

その結果、どのようなことが起こっているか?といえば、
裁判官たちは、裁判というよりも「事件の処理」を行っているに過ぎない、
というのです。

なので、「裁判をやっている官僚」「法服を着た役人」のほうが表現が近い、
そういう人たちが、裁判官のマジョリティだそうです。(P51)

 

ちなみに、判決や論文などで独自の意見を表明した人は出世が遅れる、ということが起こっているそうです。

最高裁判所事務総局」の方針に盲従しないと、人事において差がつけられる、というのは、裁判所という組織の恐ろしいまでの硬直性を物語っています。

著者も追記していますが、「方針に逆らった」ではなく「盲従しないと」というところが重要です。

これは裁判官の独立について規定した憲法76条に明らかに違反した状態と言っていいでしょう。

 

憲法76条から抜粋

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 

独立してその職権を行えるわけではなく、最高裁判所事務総局の意向のもとで職権を行っている、それが裁判官ということです。

違憲立法審査権をもつ裁判所が、憲法を無視しているとすると、その時点でいかに裁判所が絶望的な組織か、ということがわかります。

 

裁判官の花形は民事で、刑事は不人気、家裁は閑職

裁判官には3種類の系統があります。

民事系、刑事系、家裁系です。

裁判事務の絶対量や、その処遇の種類が多く、知的な面白さ、というのが民事系にはあるそうです。なので、優秀な人は民事を志望する割合が高い。

 

そうではない人たちが行くのが刑事系、だそうです。

それは、量刑に関する影響力が裁判官よりも検察にあること、
事件の類型が限られ新鮮味にかけること、手続きが毎回同じであること、が挙げられます。要するに、つまらない仕事と認識されているのです。(P71)

 

刑事系裁判官よりも検察官の方が量刑に影響力があるという倒錯的な問題

アメリカの刑事裁判は持ち回り性で偏りが少ない

アメリカは陪審員制度を持っており、刑事裁判について裁判官が有罪無罪を決めないことから、刑事事件の専門裁判官はいないそうです。

そのため、一概に比較することはできませんが、刑事事件は2割程度の裁判官が持ち回りで担当する、というのが慣例になっているようです。

 

日本の刑事裁判は裁判官と検察・警察の癒着の温床

対して、日本の刑事系裁判官については、有罪無罪を裁判にて表明する立場に有り、アメリカの裁判官とは異なります。

しかし、ここで大きく問題となるのは、刑事系裁判官と検察官との距離感です。

本来は、検察官が被告人の罪について、綿密な調査を行い、犯罪を犯している事実を論理だてて提示します。

その事実と、弁護士を伴った被告人の弁論を比較して、各証拠、証言に対する事実認定を行い、「疑う余地のない有罪である」という判定を裁判官が下すのが刑事裁判の原則的な概念です。

民事と違って、懲役や、ときによっては死刑など、重い刑罰が課されるのが刑事事件です。

そのため、少しでも曖昧な点がある限りにおいては、有罪としてはならない、「10人の重罪人を無罪にしたとしても、1人の無辜の民を冤罪にかけてはいけない」ということが原則とされています。

検察官が裁判にかけるのも、それだけの証拠が集まったとき、というのが原則です。それでも、99.9%の有罪率(刑事裁判の内有罪判決を受ける割合)というのは、尋常でない高さです。

 

有罪率が99.9%であるという事実は、同時に日本の刑事裁判官が検察により近く、公平な立場に立っていないという疑念を沸かせるには充分な数字です。

「無罪の推定」が原則のはずの被告人に対して「奴ら」「あいつら」といった言葉を用いる裁判官が多数存在したそうです。(P70)

 

このような状態であれば、最終的に量刑を確定させる刑事裁判官が、検察の有罪率維持のために貢献したとしてもおかしくはないでしょう。

 

刑事系裁判官は既得権益を守るために人権を蹂躙する

藤井浩人美濃加茂市長の警察による取り調べの様子を思い出してみましょう。

週プレNEWSでは、藤井市長への尋問の様子が語られています。

wpb.shueisha.co.jp

拘置所で交流中に、高圧的、暴力的な手法により、自白を強要しようとする姿勢は、警察による人権蹂躙そのものではないかと思います。

このような、密室に拘束することによって、精神的な圧迫を与え、自白を得るやり方を「人質司法」と呼びます。

この「人質司法」により、どれだけの冤罪が発生してきたのか、と思うと、早急な科学的手法の導入を進めてほしいと思います。

取り調べ室への監視カメラ、録音装置の完備と、嘘発見器・脳波計などの計測装置を設置することで、これらの事態は防げかつ、より科学的なデータとして説得力を増すのではないでしょうか。

 

また、瀬木さんも、本の中で以下のように述べています。

日本の刑事司法の1番の問題点は、それが徹底して社会防衛に重点を置いており、また徹底して検察官主動であって、被疑者、被告人の人権には無関心であり、したがって冤罪を生み出しやすい構造となっていることである。(P145)

 

裁判官に特定の事件について先入観を抱かせるような電話をかける、元裁判官弁護士もいるようで、非常に悪質です。

 

司法権の独立を保ちつつ、内部が健全に保たれる仕組みへの改善が必要

組織は、一定期間が立つとどうしても既得権益を守るために、つまり、楽して儲けられるようになるために、守旧的になる傾向があることは疑う余地がありません。

裁判所で言えば、最高裁判所事務総局の立場に盲従しておけば出世が約束される、そうでなくても、裁判官としての立場は維持される、ということが既得権益です。

 

そして、国家の3権のうち、ほとんど他者によるチェック機能を持たず、ほとんどマスコミにも報道されないのが、司法の最大の問題点です。

 

司法・立法・行政が、健全に互いを牽制しあい、国家を動かしていく仕組みを考える必要があります。

 

この刑事裁判官と検察の癒着問題については、大きく見ると司法と行政が癒着している、ということになります。

そうなると、立法府がなにかしらの検査機関となるか、民間で裁判の正当性を検証する機関が必要なのかもしれません。

 

 

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

 

 

 

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